【中小企業診断士】「私の学び」から「組織の学び」へ
こんにちは、中小企業診断士の諸岡です。
強い組織には「共有」という仕組みが出来上がっています。
そして「共有」という仕組みは、「知らないこと」を「知る」だけではなく、それが形式化されて習慣化されていくサイクルができています。
本日は、「知の共有」のモデルについて考えたいと思います。
強い個人は「学び」を怠らない
これは否定しようがないと思います。
私自身も常に思いますが、新しい知識やスキルは常にブラッシュアップしていかなければ衰えていく一方。
それを維持していくだけでも大変ですが、よく前職でも会社で言われましたが「現状維持=敗退」を意味すると。
単純に社会人を続けていると、ニュースを見ていないと世の中からおいていかれた気になる傾向ってありませんか?
情報は常に最新のモノを取り入れたくなる、場合によってはそうでなければ心配にもなる気持ちになります。
私も家であまりテレビを見ること自体は少ない方ですが、チャンネルは100%ニュース番組をつけています。
強いチームは、というよりは、現状をせめて維持しようとするチームは新しい学びを個々人で取り入れようとする文化が最低限備わっているものだと考えると良いでしょう。
強いチームは「共有」を怠らない
学んだ内容をアウトプットし、組織内で自分が取り入れ切れていなかった情報を取り入れ合いするチームは、必ず個人の知識の数倍の高い知恵へと変換することができると考えます。
学んだ知識を素直に出し惜しみせず共有できる空気感、人間関係、そしてそれを尊重し合える風土。
これがあればチームとしては強くなります。
「共有」に出し惜しみや遠慮、「こんな情報、みんな知ってるだろうから」とアウトプットしない個人がいると、そこで個の知識の消化でとどまってしまいます。
知っている情報でも共有することで、「知っていることの再確認」ができます。
そしてそれに、最近でいう「いいね!」なんて一言が添えられると、発信した側も気持ちが良いもの。
そうしてチームの信頼関係が高まり、知識も高まるという正のスパイラルが生まれるというものです。
全員が発信者であることはベスト、でもそうでなくてもOK
個々に「発信力」という積極性に温度差があることは自然の摂理です。
従って、チームの中で共有を目的に発信をあまりしない人がいても、それは決して問題かというとそうでもありません。
それは単なる個性の差であって、問題視すべきことではないと考えます。
共有された情報を享受し、次なる知識の共有へとレベルが全員で高まっていくことに意味があります。
知識は習慣化されて知恵となり、また次なる必要な知識が耕されていくことで、チームのレベルが上がっていくことが理想です。
したがって発信することが乏しいメンバーがいることに問題があるというよりは、知識が享受されていない方が問題です。
全員に発信された情報が、全員の血となり肉となっているかの検証の方が大切でしょう。
個人の成長は組織の成長
まずは個々人の成長がベースです。
成長とは、知識を得て実践して、知らなかったことを習慣化するプロセスです。
かつては個人の成長は個人のヤル気に委ねられてきました。
それも大切なことですが、その仕組みを作ることが今の時代には求められていると思っています。
チーム力向上に向けた仕組みづくり、中小企業診断士としてお手伝いさせて頂けると思っています!