【経営コンサル】製薬会社MR時代の私の生々しい営業

  • 2024/01/07
  • 経営関連

こんにちは、中小企業診断士の諸岡です。

昨今、営業・マーケティングに関する研修講師をお受けする機会が多くあります。

私自身、もともと某製薬企業でMRを16年、製品戦略マーケティング部門に4年所属していました。

中でも、MR(医薬情報担当者)として活動してきた16年間は非常に濃密な毎日で、社会人として本当に多大なる勉強と経験をさせて頂きました。

当時の私自信の営業活動を、生々しく振り返ってみたいと思います。

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大学病院担当時代(関東)

私は某製薬企業に新卒で入社して、半年のMR研修を受講後すぐに関東の某県に配属となりました。

初めての担当が大学病院で、その当時は1つの大学病院を4人で担当するチームに所属となったのでした。

今では生産性が問われる時代となり、製薬企業でも大学病院を複数人数で担当するというのは、どこの企業でも少なくなってきたと思われますが、その当時は各社5人くらいはだいたい担当していました。

その当時のチームの上司は、「大学病院で先生と関係性を構築したければ、夜遅くに訪問しろ」というタイプの人でした。

たしかに大学病院の医師は皆さん日中は非常に多忙で、毎日病棟でも走り回っておられましたので、なかなか面談の時間を確保することもできず、朝は病棟で挨拶、昼も挨拶程度で、とりあえず顔を見せに行くという毎日でした。

そして夜はだいたい最低でも21時くらいまでは病棟に貼りついて、休憩で医局に戻ってくる医師に話しかけて、という日々でした。

同じ営業所に配属された同期たちは「○○市担当」というような、エリア担当で主に開業医を担当していましたので、やれ忘年会、やれ接待、やれゴルフなどなど、毎日身体を酷使して仕事をしていました。

しかし私は国立大学病院を担当していたので、医師とのプライベートのお付き合いはゼロでした。

ゴルフもやったこともなければ、接待もできません。

おかげさまで(?)、43歳になった今でもゴルフはやったこともありませんし、これからもやることはないでしょう。

そして、その頃私が必死でやっていた仕事は、「文献のコピー」です。

大学病院の医師は学会発表や医局の研究などで、「この医学雑誌のこのページの文献を入手したい」という要望が非常に多くありました。

今の時代では文献提供は自社製品に関連するものしか提供できないと厳しくルール化されていますが、その当時はやや緩い縛りで、自社品に無理やり関連付けて文献をコピーして提供するという動きをしていました。

また、大学病院の医師は学会や研究会での発表が、今のようなPowerPoint形式ではなく、写真で画像を撮影し、そのネガを映写してプレゼンされていました。(懐かしい…)

その写真のネガを発表用に仕立て上げるために、写真屋さんに走りに行ったりすることも対応していました。

時には、ある診療科の医局旅行の時に、先生たちのカバンをバスに積んだり、スキー板を持ち運ぶのを手伝ったりもしていました。

今では考えられませんよね。笑

語弊がないようにお伝えしておくと、自社製品の紹介や説明会などは当然対応していました。

それ以上に、こういった泥臭いお仕事は非常に多く、そしてそれで医師から信頼を勝ち取れているということに大きな喜びを感じたりもしていました。

ただ、やはり国立大学病院担当者ということもあり、相手が公務員なので、公務員倫理規定に抵触するようなことは一切しませんでした。

飲み会に誘われることもありましたが、それは丁重にお断りもしていましたし、隠れてゴルフに行かない?とのお誘いも断じてお受けすることはありませんでした。(そもそも私はゴルフをやりません…)

開業医担当時代(関東・関西)

大学病院を7年担当した後、20代後半で初めて開業医を担当させて頂きました。

その頃は、今ではほぼなくなりましたが、「併売」という「ガチンコ対決」を強いられた時代です。

「併売」というのは、同じ薬を2社で売るというスタイルで、自社品Aと他社品Aが全く同じもので、自社品Aが売れないと成果にならないというものです。

医師からすれば全く同じ薬ですのでどちらでも良いですし、その処方箋を受けた薬剤師からしても、全く同じ薬ですのでどちらでも構わないわけです。

しかし、この全く同じ薬でも自社品を買ってもらわないと一切成果にならないという製薬企業側の事情で、2社がガチンコで「うちの薬を買ってください!」とお願いしに行くわけです。

こうなると、医師も薬剤師も「お世話になってる方の薬を買う」という心情が働くのは当然でしょう。

もうその当時は毎日、医療従事者を接待にお招きして、毎晩割烹料理と豪華酒でおもてなしをしていました。

食事が終わると、だいたい「カラオケに行こう」と言われる流れ。

20代でしたが、必死になって昭和の歌謡曲を勉強しましたし、必死でテーブルマナーも学びました。

美味しい日本料理屋を探しては下見をして、良かったらすぐに医師に声をかける。

そんな毎日で、大学病院時代とは違った泥臭さを経験しました。

30代に入って初めて転勤を言い渡され、関西に異動となり、関西でも開業医を担当させて頂きました。

ちょうどこのころ、医薬品業界での接待が業界内で禁止されてしまい、食事の席での交渉というものができなくなりました。

こうなったらと言わんばかりに、1日に訪問する医療機関の数だけは誰にも負けませんでした。

また、私が関西に異動してから他社との大きな違いと言われたのが、夜働くことが多かったということ。

関西には関東と違って、「夜診」というものがあります。

関東では「午後診」と言われ、だいたい15時~18時くらいで午後診療が終わりますが、関西は午前中の診療が終わったら、午後は17:00~20:00など、診療が終わる時間が遅い地域なのです。

もともと大学病院で夜遅くまで働いていた経験もあり、夜働くことに対して何の抵抗もなかった私は、何の迷いもなく夜20時とかに開業医を訪問していたわけですが、その地域では「夜遅くに来るMR」という評判が生まれるくらいでした。

ちなみに、夜遅くに訪問したとて薬の営業をすることもほぼなく、「先生遅い時間までお疲れ様です」と雑談をして帰るという毎日でした。

おかげでコミュニケーション能力は相当磨かれたのではないかと思います。

MRとして「言われたら最も辛い言葉」

今の時代はどうなのか分かりませんが、当時私がMRをやっていて医療従事者から言われて最も辛い言葉がありました。

それは、「きみ、全然来ないね」という言葉。

おそらくこれはどこの会社のMRでも同じく辛いと思います。

当時、医療従事者の方々は「来てくれるのが当たり前」と考えていたことでしょう。

そして、訪問してもらえることに喜びも感じておられたのかもしれません。

だから、「全然来てくれない」と言われると、MRとしては「お前、仕事してない」と言われているような気持になって辛くなるのです。

地域でも結構仕事をしているMRの部類に私は入っていたと自覚していますが、それでも足が遠のく施設もありましたので、この言葉を言われてがっかりな気持ちになったことも多々ありました。

最後に

その後、私は35歳で営業所長に就任しました。

16年間というMR活動の中から、本当に多くのことを学ばせて頂きました。

楽しかったこともあれば、悩んだことも多々あります。

だからこそ、営業という世界で活動されている方々の気持ちがよく分かります。

今の時代、何かとDX化やITデジタル化が進み、対面営業という手段が減ってきています。

しかし、決してなくなるものではないと思っています。

機械やデジタルでは成し遂げられない「ヒト」としてのスキルを身につける絶好のチャンスだと思います。

是非、楽しい学びと捉えて営業活動を今日も明日も頑張ってもらいたいですね!


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