【中小企業診断士】私の学生時代を振り返る
こんにちは、中小企業診断士の諸岡です。
いまさらながらではありますが、私自身の学生時代の略歴を記そうと思います。
なかなか青春全開な学生時代を過ごしたものだと、少し懐かしくまとめてみました。
私の小学校時代 ー大阪府茨木市立水尾小学校ー
小学校時代は、野球部・サッカー部・バスケ部などなど、本当にスポーツ肌全開な「アウトドア派」小学生でした。
しかも、生徒会長や運動会の応援団長などにも自ら立候補してしまう、ちょっとした目立ちたがり屋さんな小学生だったと思います。
(目立ちたがり屋なのは、今でも変わらないかもしれません…笑)
そして、小学校の卒業文集に書いた私の将来の夢は、「小説家」か「弁護士」でした。
現在、執筆のお仕事をさせていただくこともありますが、小説は書いてないですね…。
そして、弁護士ではありませんが、同じ士業の世界で独立はしました!
私の中学校時代 ー大阪府茨木市立南中学校ー
ちょっとヤンチャな中学時代を振り返ります。
真面目ではあったかとは思いますが、俗にいう「中2病」にはとことん罹患してしまい、両親にはかなり迷惑も心配もかけてしまったと思っています。
中学3年生になって、人が変わったように「将来」を夢見る男になった瞬間を覚えています。
あの頃から「ワクワク感」というものが、自分の原動力になっていたことに気が付いていたかもしれません。
中学の卒業文集の内容は、「中2病」の反省文のような内容でした。笑
私の高校時代 ー大阪府立千里高等学校ー
この高校時代に、当社共同代表の吉原氏と出会います。
ちなみに青春を謳歌する(?)バレーボール部員でした。
毎日部活が終わっても、残って隠れて練習をする「ヤミ練男」と言われていました。
ちなみに当時、数学が大好きで完全理系の道へ進もうと考え始めていました。
しかし、結局進んだ道は英語の道へ。
英語教師の担任に惹かれ、高校英語教師になりたいと夢見始めたのでした。
私の大学生時代 ー関西学院大学 文学部英文学科ー
結局理系の道は選ばずに、大学は文系へと転じました。
当時、戸田奈津子氏の字幕翻訳が非常に好きで、ハリウッドへ行きたいと夢見るようになりました。
大学2年生の時に、結局訳あってハリウッドではなくカナダ(バンクーバー)への留学を果たしました。
私は海外の文化をところん学び、将来海外での生活を夢見て留学したわけですが。
学び得たことは、むしろ真逆のことだったのです。
現地民から「日本の文化や歴史を細かく紹介してほしい」と言われ、全く答えることができなかったのでした。
当時、関西から出たこともあまりなかった私からすれば、現地民の方がむしろ東京のことを知っている印象を受けたのでした。
そして私は「もっと日本のことを知りたい」と強く思うようになり、帰国してからは「青春18きっぷ」で、一人ドンコウでの国内の放浪の旅が始まったのでした。
学生時代を通して
かなりあっち行ったりこっち行ったりした学生時代でした。
しかし、この当時から「夢」という言葉が好きでした。
恐らく「ワクワク感」というビジョンはこの頃から根付き始めていたことは間違いがないと思います。
大学卒業後も、製薬企業に就職して毎日「将来こんなことをしたい!」と常に語っていたことを覚えています。
時には自分自身の学生時代を振り返る「棚卸し」も悪くありませんね。
お恥ずかしい限りではありますが…笑。